2013年 02月 12日
私について |
先日、お世話になっていると方とお食事する中で、
今書いてるブログ、わかる人しかわからないよね、と
ずばっと言われまして・・・
ごもっとも・・・
どうにも消化不良の部分があって、
facebookと違ってweb上に公開される場所に
あれこれ書くことに躊躇。
でも、書かないとわからないままなのよね・・・
と
今日はできるだけ客観的に自分のことを書いてみようと思います。
もともとは、
学生の頃からランジェリーが好きで、
当時、心斎橋のリップルさんのウィンドウを見て
こんな世界があるのね~と魅入られながらも、
ちょっと手頃で可愛いピーチジョンでお買い物したりなど。
(この頃は海外のセレクト品多く、とても楽しいラインナップでした。)
そんな感じで学生時代を過ごしました。
お仕事の変遷は・・・
外資系調査会社から、大阪のテーマパークへ出向。
365日毎日営業という目まぐるしい環境の中で、
調査設計をさせていただきました。
今、イメージ(妄想?)のままに突き進む中で
たまに数字的な根拠を言い出すのはこの時の経験から。
働き出して、
憧れだったインポートのランジェリーが
身近なものとなり、日常となり
より一層私にとって大切なものとなりました。
誰に見せるわけでなくても、
肌に心地よく、美しいものを身につけていると
気分があがる、なんでも頑張れるから。
ただそれだけ。
でも、それがとても大事なことなのです。
オーバドゥAubadeもラヴァージRavageもシャンタルトーマスChantal Thomassも
ラ・ペルラLa Perlaも・・・
初めて身につけたときの高揚感は忘れられない。
その頃、特にキレイ!と思うランジェリーは
日本でよく目にするものと
何が違うのだろう?と考えるようになりました。
文化が違う、機能が違う。
そんなことはあたりまえ、
だけど他には?
それが レースに種類があると知った瞬間でした。
特別に繊細で透明感のある美しいレースは
リバーレースという名前でした。
200年前に発明された構造の機械で
時を経た今もほぼ同じ作り方のレースです。
こんなに美しいのに、
5-60年前に機械の生産は終わっており
今、世界で動いている機械は僅か。
伝統工芸品といっても差し支えのないものです。
そんな美しいレースを作る会社が
アジアに、日本に唯一社だけ、
生まれ育った関西にある。
それを知った時、とても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
あの時の気持ちは今も変わっていません。
そんなことを知り、
ますますランジェリーを愛する日々を送っていたある日、
ひょんなことで求人を発見!
多くの人にとっては、いくつもの求人記事のうちのひとつでしょうが、
私にはキラキラと光り輝いて見えました。
その当時、テーマパークでの仕事は一定の裁量も与えていただき
自分のアイデアに裏付けをとり、調査を設計し、チームを組んで、
皆の協力を得ながら実施~検証することが
本当に楽しかった。
転職するつもりなんてなかったけれど、
求人を見たとき、
これは運命なのだと自分勝手に強く強く感じて、
居てもたってもいられなくなりました。
そのまま どんどん話が進み、
すぐには動けなかったものの、
数ヵ月後に転職。
世界中で自分にしかできないこと、
この美しいレースを
もっときちんと日本のメーカーに伝えたら
もっと日本のインナー(もはやランジェリーではないと個人的には思っている)も良くなるはずだと
強い信念と期待を持っての入社となりました。
ここからは割愛。。。
長くなったので、
次はレースの会社を辞めてから、今に至るまでを綴ります。
私について:2はこちら
インポートランジェリー好きのための布ナプキン/ランジェリーシート ecLa (エクラ)
今書いてるブログ、わかる人しかわからないよね、と
ずばっと言われまして・・・
ごもっとも・・・
どうにも消化不良の部分があって、
facebookと違ってweb上に公開される場所に
あれこれ書くことに躊躇。
でも、書かないとわからないままなのよね・・・
と
今日はできるだけ客観的に自分のことを書いてみようと思います。
もともとは、
学生の頃からランジェリーが好きで、
当時、心斎橋のリップルさんのウィンドウを見て
こんな世界があるのね~と魅入られながらも、
ちょっと手頃で可愛いピーチジョンでお買い物したりなど。
(この頃は海外のセレクト品多く、とても楽しいラインナップでした。)
そんな感じで学生時代を過ごしました。
お仕事の変遷は・・・
外資系調査会社から、大阪のテーマパークへ出向。
365日毎日営業という目まぐるしい環境の中で、
調査設計をさせていただきました。
今、イメージ(妄想?)のままに突き進む中で
たまに数字的な根拠を言い出すのはこの時の経験から。
働き出して、
憧れだったインポートのランジェリーが
身近なものとなり、日常となり
より一層私にとって大切なものとなりました。
誰に見せるわけでなくても、
肌に心地よく、美しいものを身につけていると
気分があがる、なんでも頑張れるから。
ただそれだけ。
でも、それがとても大事なことなのです。
オーバドゥAubadeもラヴァージRavageもシャンタルトーマスChantal Thomassも
ラ・ペルラLa Perlaも・・・
初めて身につけたときの高揚感は忘れられない。
その頃、特にキレイ!と思うランジェリーは
日本でよく目にするものと
何が違うのだろう?と考えるようになりました。
文化が違う、機能が違う。
そんなことはあたりまえ、
だけど他には?
それが レースに種類があると知った瞬間でした。
特別に繊細で透明感のある美しいレースは
リバーレースという名前でした。
200年前に発明された構造の機械で
時を経た今もほぼ同じ作り方のレースです。
こんなに美しいのに、
5-60年前に機械の生産は終わっており
今、世界で動いている機械は僅か。
伝統工芸品といっても差し支えのないものです。
そんな美しいレースを作る会社が
アジアに、日本に唯一社だけ、
生まれ育った関西にある。
それを知った時、とても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
あの時の気持ちは今も変わっていません。
そんなことを知り、
ますますランジェリーを愛する日々を送っていたある日、
ひょんなことで求人を発見!
多くの人にとっては、いくつもの求人記事のうちのひとつでしょうが、
私にはキラキラと光り輝いて見えました。
その当時、テーマパークでの仕事は一定の裁量も与えていただき
自分のアイデアに裏付けをとり、調査を設計し、チームを組んで、
皆の協力を得ながら実施~検証することが
本当に楽しかった。
転職するつもりなんてなかったけれど、
求人を見たとき、
これは運命なのだと自分勝手に強く強く感じて、
居てもたってもいられなくなりました。
そのまま どんどん話が進み、
すぐには動けなかったものの、
数ヵ月後に転職。
世界中で自分にしかできないこと、
この美しいレースを
もっときちんと日本のメーカーに伝えたら
もっと日本のインナー(もはやランジェリーではないと個人的には思っている)も良くなるはずだと
強い信念と期待を持っての入社となりました。
ここからは割愛。。。
長くなったので、
次はレースの会社を辞めてから、今に至るまでを綴ります。
私について:2はこちら
インポートランジェリー好きのための布ナプキン/ランジェリーシート ecLa (エクラ)
by ecla200
| 2013-02-12 19:37
| ecLaについて